2005年04月19日
第一話-3-
「はぁ~~~~~~」
ペンキが所々禿げた木製の扉の前であかゆは盛大に溜息をついた。
路地裏へとはいったあかゆは、蜘蛛の巣のように入り組んだ路を
迷うこともなくこの場所に辿りついた。
しかしあかゆは幾度か扉に手をかけようとして、その度に溜息をつく。
それは決して、このコンクリートの壁に取り付けられた扉の怪しげな雰囲気に気圧されたわけでもなく
扉の上に取り付けられた看板が、薄汚れた扉とは不釣合いなほど上質な木を使っているという、
ギャップに気圧されたわけでもない。
実際この建物は、あかゆがプロンテラに来てから初めて入った建物である。
この酒場はあかゆにとってプロンテラで自分の家以上に馴染み深い酒場だった。
ならばなぜあかゆは、その馴染み深い酒場の前で盛大に溜息をついているのか。
それはこの酒場にくるまでの道程で、ポケットに入った財布の中身を確認したせいだった。
「流石にこれは使えないよなぁ…」
あかゆは右手の掌を開き、握っていたものを見る。
それは銅製のコイン。あかゆの掌に乗せられた4枚のコインの表面には模様。
というより彫刻が刻まれており、4枚のコインは、全て似たタッチではあるが、全て違う絵柄である。
この4枚の他にもポケットに戻した財布の中を見れば同じようなコインが数枚でてくるだろう。
それはコインではあるがコレクターコインだった。
コインには興味の無いあかゆには、価値があるのかはわからないが
得てしてコレクターアイテムというものは興味の無い人間から見れば、ただのゴミであり
無駄遣いであり、場所の無駄である。
まだ金か銀製ならば換金のしようもあるのだが、銅製のコインでは、素人が換金しようものなら
二束三文で買い叩かれるのが目に見えている。それにどれだけ値打ちがあったとしても
換金に時間がかかるのは間違いない。
それでもし価値がないとしたら、あかゆはカラスの餌になりかねない。
結論を言うと、あかゆは取引になるものを、何も持たないまま酒場の扉の前に立っているのである。
だが実を言うと、このまま一銭も持たないまま酒場に入っても
マスターは仕事を斡旋してくれることは知っていた。
あかゆはこの酒場のマスターと知り合いだった。
しかしあかゆはこれ以上マスターに恩を受けたくなかった。
それは決してマスターの温情が疎ましいというわけではない。
マスターには礼をいってもいいきれない程の、多大な恩義があったため
これ以上の迷惑をかけたくなかったのである。
その恩義の重さのために、あかゆがかつてのシーフ時代の微妙に人には言えない技術を使ってまで金銭を
得ようとしたのだった。
しかし軽い罪悪感と酷い自己嫌悪と引き換えに手に入れたのは価値がわからない
コレクターコイン十枚程。その散々と言える結果は、酒場に入ることを躊躇わせるには充分だった。
「はぁ…」
今日何度目であろう溜息をつく。
「………」
顔を両の手で同時に叩いた。パシンという景気のいい音が
沈んだ心をどうにか浮かび上がらせる。
ここまできたんだし、とりあえずマスターに挨拶だけはしよう。そう決めると顔を上げる。
いつから手入れをされていないのか、所々罅割れ、ペンキが剥がれ落ちた外装に似つかわしくない
素人が見てもわかる程の上質な木を使って作られた看板。
そこに書かれた文字を読む。
バー『カシミール』
あかゆは酒場の扉を押した。
………
扉を半分ほど開き店内に足を踏み入れると、半開きの扉に肩がぶつかり、拍子に扉を完全に開いた。
その途端ギィとと木の軋む大きな音がして、慌てて扉を振り返ってしまう。
そういえばこの扉は立て付けが悪くなっていて半分までしか開けずに入るのが
常連内での常識になっていたことを思い出す。
…?ふと違和感を感じ、扉から店内の方へ向き直ると、複数の視線が刺さっていることに気が付く。
「……」
見れば席についていた客の多くが、入ってきたばかりの俺を見ていた。
しかしそれも一瞬、客達は視線をはずし各々の雑談に戻る。
店内には、いつも変わらないジャズが魔術による録音機能?だったかで流れ
恐らく演出のため意図的だろう照明は薄暗い。
しかし一見、変わらないように見える店内で、なんとなく違和感を感じ、首をかしげた。
最初は予想以上に大きな音を立てた扉の音に驚ろき、こちらを見たのかと思ったが違うようである。
かといって俺自身を見ていたと言うことでもないようで
もう店内には俺を見ているに客はおらず、俺にはまったく関心がないようだ。
だが良く観察すれば、いつもより何処となく店内の雰囲気が騒がしい。
なぜ店内が騒がしいとそのまま表現せずに、雰囲気が騒がしいと称したかといえば
確かに店内には、いつもより話し声が多いのだが、皆共通して小声で密めきあっていたからだ。
冷静に話し合っている客。慌てた様子で矢継ぎ早に話し続ける客。
沈んだ表情で溜息をつきながら話す客。どの客もヒソヒソと小声で話し合い
普通に雑談する客も周りの雰囲気に飲まれているのか小声で話している。
しかし何があったのかと聞ける雰囲気でもないため、何とはなく釈然としないまま店内を歩いていく。
「ゲフェ…… が…」
「ここ… 危な……」
「しかし……」
この酒場に通う内に、何時の間にか俺の指定席になっていたカウンター席に着くまで
客の話に耳をそばだてたが、小声であるため詳細を聞き取ることはできなかった。
腰辺りまでしか背もたれのない椅子に座ると、目を瞑り思考にふける。
店内の雰囲気からするに、何かあったとしか思えない。
……コトリ
目の前のカウンターテーブルに何か硬いものが置かれたことに気づき慌てて目を開く。
見ると目の前にはグラス。更に顔を上げるとカウンターの向こうから
いかつい顔に似合わない優しげな表情でこちらを見る中年と目が合った。
「マスター…」
自然と口に出る。目の前のドッシリとした体格の中年…と本人の前で言うと怒るので
目の前の男はこの酒場のマスターであるミスティさんだ。
昔はかなり凄腕の冒険者だったらしいが、今は隠居したらしく
このプロンテラで冒険者に仕事や依頼を斡旋する酒場を経営している。
元々はマスター一人が仕事や依頼をを斡旋していただけだったのだが、酒場の噂が広まってくると
利用する冒険者の数は、段々と増えていき、冒険者の多いところには情報屋が出入りするようになり
情報屋が出入りするところには、冒険者が更に集まるようになり
気づけば酒場は、プロンテラ中の情報が集まる冒険者達の拠点になっていたらしい。
そんなマスターだが、この人は俺の命の恩人でもある。
プロンテラに流れ着き、店の前に意識不明で倒れていた俺を、意識が回復するまで介抱してくれた
マスターはお世辞でも比喩でもなく、言葉どおり俺の『命の恩人』だった。
マスターへの恩義はそれだけではない。
意識を取り戻し「何か恩返しをさせてください」と言った俺に対してマスターは
仏頂面のまま「仕事に困ったら俺のところにこい」と言って無料で仕事を斡旋してくれたのだ。
それからは俺は、できるだけここで仕事を請ける様にし、マスターも俺を気に入ってくれたようだった。
そのため俺はこの人にだけは、ずっと頭が上がらない。いつか恩返しをしようと思ってはいるのだが
そう提案するたびにマスターはのらりくらりと躱し、話題を変えてしまう。
「久しぶりだなあかゆ。少し顔色が悪いようだが元気みたいだな」
マスターが柔らかな口調で言う。
こんな人相手に盗んだ金を使おうと思った自分に自己嫌悪した……っとそれよりだ。
「それよりマスター。俺、酒なんて頼んでませんよ」
お金一銭もないんです!とは流石に言い出せなかった。それは俺のプライドが許さない。
「いや、コレは俺からじゃない」
マスターの言葉に首を傾げる。
俺からじゃない?それはマスターから俺への奢りではないということだ。
自分で言うのもアレだが、プロンテラに知り合いなんて数えるほどしかいないはずだった。
加えて万年金欠の俺に酒を奢ってくれるような人間忘れるわけないんだが…
マスターを見ると、ニヤニヤと笑いながら親指で店の奥のテーブルを指している。
その似合わない笑顔を貼り付けた中年の顔に、理由はわからないが、とても嫌な予感がした。
今日一番の沈み具合で、マスターの指す方向に首を回す。
回る首からギギギと音がしている気がした。
ソイツを完全に視界に納めた時、予感は確実な現実となって俺を襲った。
照明が微妙に届かない店の一番奥のテーブル席。そこにソイツは座っていた。
「よっ、あかゆ!」
人差し指と中指だけを立て、俺に気安く話しかけてくる。
そして爽やかに歯を光らせた。とりあえず俺の行動は決まっていた。
「あっ、やだ!もうこんなじかーん!」
言ってカウンター席から立ち上がる。先人の作った素晴らしい言葉に感謝を込めて。
回れ右をして転進転進後退にあら……
「ストップあかゆ!お前は時間を気にする、立派な人間じゃないだろ!」
ガッシリと肩を掴まれる。まるで人が根無し草のニートのようなその発言許すまじ。
だがまったく否定できないのが痛いところだ。流石にこの客の多さじゃ
「うるさい!親父が再婚して、家に同い年の義妹がくるんだ!(その後父親のみ海外に旅行)」
と言い訳するわけにもいかなかった。
というか今さっきまで遠くの椅子に座ってたはずなのに、この男は一瞬でどれだけ移動したんだ。
「まぁあかゆ、話を聞いてやるぐらいはいいんじゃないか?」
「流石マスター!話がわかる」
マスターまでそんなことを言う。しかしこうなったらどうしようもないだろう。
反射的に舵手津を考えてしまったがよくよく考えれば
銭も持ってない今の状態で、奢ってくれる人間の存在はありがたいかもしれない。
観念して椅子に座りなおす。とりあえず座るときにコイツに聞こえるような盛大に溜息をついてやった。
「で、ギーガ。何の用だ?」
それを聞くと目の前の男。
ギーガは待ってましたと言わんばかりに、ニィと口元を吊り上げた。
俺は背筋に冷たいものを感じた。
店内には、いつも変わらないジャズが流れていた。
投稿者 lirim : 2005年04月19日 17:21